蜜と蜂蜜

詩篇19:10

それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。


これは、神の言葉、神の教えを慕う詩篇の記者の気持ちを表した一連の詩文の一節です。ここには「蜜よりも、蜂蜜の巣のしたたりよりも」という表現が有ります。まわりくどい表現だと思いましたが、同時に、これが詩的表現の技巧というものなのだろうと思っていました。

ここでこの表現のword study をしてみます。

最初に該当箇所を e-sword の聖書ウィンドウにKJV+を表示させて確かめます。前者には honey の訳を当て、後者には the honeycomb の訳を当てています。

次に、各語に付いている番号をクリックして、Strongs と BDB の解説を確認してみます。

「蜜」に関しては、H1706の説明になります。日本語表記ではデバシもしくはディバシというような発音になる語で、粘り気が有る、蜜(べとべとしていることから)また、比喩的に果汁、というような説明が Strongs には有ります。BDB では単純に蜜という説明しか有りません。

「蜂蜜」に関しては、H5317 H6688 の二つの Strongs' Number が振って有ります。前者の意味は DBD が比較的多くの定義を示しており、流れる蜜、蜂の巣からとれた蜜、落ちるもの、蜜、蜂の巣、という具合になっています。後者に関しては、単純に蜂の巣という説明だけです。

ここまででわかることは、「蜜」には果汁も視野に入れて用いられることが有るようだということと、「蜂蜜」は特に蜂の巣から採れた蜜であることに拘った表現のようであるということです。

そこで、「蜜」の方の他の意味合いを確認するために、KJCを利用してみることにします。もう一度 H1706 をクリックして、辞書ウィンドウのタグの中から KJC を選んでクリックします。そうすると、KJV において、この語(デバシ)は54回登場し、その内の52回が「蜜」(honey) と訳されていることがわかります。残りの2回は、「蜂の巣」(honeycomb) と訳されていますが、圧倒的に「蜜」としての用例が多いことがわかります。

さて、KJC では、具体的にどこに出てくるかのリンクのリストが表示されます。最初のものは、創世記43:11となっています。そのリンクをクリックしてその聖書箇所の飛び、注解ウィンドウに、その語の説明が無いかを探して見ます。

Barnes, Clark, JFB 比較的短くて分かりやすい説明をしているのに気づくと思います。手っ取り早くまとめると、どうやらこれは葡萄の果汁を煮詰めて蜜状にしたもののことだということがわかります。Gill の説明によると、ヘブロンイスラエルの南端ぐらいに有ります)からエジプトに向けて、毎年駱駝300頭に運ばせる量が送られたそうです。そんな量であるとすると、蜂蜜では到底無理だろうと思われます。



こうして調べてみると、この箇所の「蜜」「蜂蜜」は、別のものであると考えるのが良いように思われます。二つの表現が用いられているのは、詩文における、同じ物を違った表現で繰り返す技法ではなく、同様な性質の物を二つ併記することによる技法で強調していると理解するのが良い箇所と考えられます。

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