不正の富

ルカ16章9節を見ると、イエスが弟子達に向かって、「不正の富で、自分のために友をつくりなさい」という指示をしている場面が有ります。ここで、疑問になるのが、「不正の富」という表現です。イエスは弟子達に向かって、富やお金を不正に使えと命じているのでしょうか。そうならば、イエスの弟子は賄賂を贈ったりして、友達を作ったりしていいということでしょうか。

ここで、聖書研究に慣れている方でしたら、前後関係を調べて見たりするでしょう。続きを見ると、「そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」と書いてあります。「永遠の住まい」という表現が有りますから、これは天国のことです。天国はお金で買えませんし、賄賂を贈って入れてもらうようなところではありません。すると、これは別な意味が有るだろうと考えるのが普通です。しかし、その別な意味が何かという疑問に、明確な答えを得たことが無い方も多いのではないかと思います。

いつものように、e-swordを利用して、参考になる資料がないかを探して見ましょう。注解ウィンドウで、おなじみのGillなどを見ても、どうして、「不正の」であるかの説明は有りますが、私達が探している「別な意味」はみつかりません。そこで、今度は辞典ウィンドウでおなじみのISBEを使ってみます。KJV+で「富」に当たる語がmammonであることを確認して、辞書ウィンドウの検索欄にその語を入力します。すると、次のような説明に行き当たります。

マモン。一般的なアラム語。マタイ6章24節やルカ16章9節等で、「不正の富」という表現で用いられている。これらの文では単に「富」という意味で、「不正な」というのは、多くの場合、正しい使い方より、不正な富の使われ方をすることが頻繁であるからだ。

注解ウィンドウでも、慣用表現であるという説明は有りました。すると、イエスは弟子達に慣用表現を用いて話したのだということになります。ここまで確認すれば、先に考えた、「別な意味」があるはずだという読み方が間違っていなかったことが明らかになります。別な意味というと不正確かもしれませんが、少なくとも「不正なことをする」という含みは無いということが判明します。単純に「富」もしくは「お金」という理解で良いということです。お金自体には、良いも悪いも有りませんよね。要は使い方なのです。では、どう使えと言っているのでしょうか。ご自分で、もうちょっとだけ頑張って、ISBEの続きや注解をお読みくださればと思います。

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