売春婦?食堂の女将?

イスラエル人に与えられた三人目の王、ソロモンは、神に知恵を願い求めて叶えられました。そして、その知恵に関する最初のエピソードに二人の遊女が登場します。これまでは何気なく読んでいましたが、考えてみれば、律法に最も忠実に統治することを目指したダビデ王の時代の直後、ソロモン王の即位から間もない時期に、遊女が存在しただろうかという疑問がわきます。仮に存在したとしても、初代王、サウルが霊媒を追放したために、サウル王の訪問に恐れをなしたように、遊女達はソロモン王の前に出ることを恐れたはずだと思います。
 早速e-swordを調べると、複数の注解にタルグム、ラビの伝統による理解が示されていました。遊女と訳されたヘブル語の語幹には、「食物を与える」という意味があるので、遊女や姦淫を表す語として多用される語ではありますが、ここでは宿屋や酒場を経営している女達という理解をするということでした。確かに、そのような理解の方が、遊女の存在が不可能に近い当時の背景に合うように思われます。しかも、これがユダヤ教のレビの伝統的理解だということなのですから、信憑性が高いと考えて良いのではないかと思います。
 更に、注解は、遊女は自分の子供を産む意志を持つことは殆ど無く、また、生まれた子供に愛情を注いで養育するということは無いか、できない環境であったろうと思われることが記されています。
 また、当時の裁判のシステムを考えると、これもその女達が遊女であった可能性が低いと言えるように思います。裁判が王の元に持ち込まれるのは、大変難しい問題である時でした。あるいは、下級の裁判では決着がつかず、最高裁判所に至るまで争われた場合にも擬えることができるかもしれません。しかし、そのような司法の制度を、王の前に出るまで遊女達が利用できたかどうかと思うと、それは殆ど有り得なかったであろうと思われます。律法においては存在を許されない遊女です。仮に遊女が存在したとしても、社会的な恩恵からは、殆ど全て門前払いを食らわされるような立場であったと思われます。
 いろいろな背景の情報を得れば得るほど、ここで遊女という言葉を当てられた女性達は、売春婦であった可能性は大変低いという理解にならざるを得ないと思います。女性が仕事を持つということは難しい時代であったかもしれませんが、注解は、遊女ラハブの例を挙げていて、女性が何らかの仕事や事業をしていた可能性を退けてはいません。多分ラビの伝統的理解である、宿場、食堂もしくは酒場の経営に関係していた女性という理解が無難なのではないかと思います。
 ところで、逆の理解につながる記述がEastonの聖書辞典には有ります。『ソロモンの時代には、売春婦はおおっぴらに通りに現れ、彼は厳粛に彼女達と交流を持つことに警告を発した。(箴言7:12、9:14)』しかし、その箇所を調べてみると、それは売春婦ではなく、ふしだらな人妻などの描写であることがわかります。やはり、私はタルグムやラビの伝統的理解に従うことにしようと思います。

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