ピレモン書 7節

画像をクリックすると原寸で表示されます。

今回は7節だけ取り上げてみます。先ず、本文を日本語と英語で比較します。

私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。(新改訳)

For I have come to have much joy and comfort in your love, because the hearts of the saints have been refreshed through you, brother. (NASB)

比較してみますと、原語の構造に忠実であることを目指したNASBでは、接続詞の"for"が付いていて、ピリオドは一つで、一つの文であるという点が、日本語訳と違うことがわかります。

先ず、接続詞"for"に注目します。私の手元に有る三種類の日本語訳では、どれも接続詞の訳と思える語は有りません。いつものようにe-swordを調べてみます。聖書ウィンドウでピレモンへの手紙を表示させ、KJV+を選び、7節の頭に有るForに付いているStrong's Numberをクリックします。それから辞書ウィンドウのタブからStrongを選ぶと、画像に示されているような説明が有ります。理由を示すものなのですが、英語でも多様に訳せることがわかります。Thayerでは、品詞を接続詞と示しています。接続詞の"for"は、基本的には「というのは〜だからである」という風な訳をします。しかし、日本語の聖書がそう訳さなかったのは、原語が多様に訳せるため、雰囲気で読み取ってもらおうとしたのかもしれません。もう一つの可能性は、構文分析等する中で触れてみたいと思います。

接続詞"for"は等位接続詞で、上に示した訳から想像できるように、先に述べられた文の動作についての理由を説明します。では、前に取り上げた4〜6節のどの部分の理由を述べているのかを理解しなければなりません。基本的には、主節の動詞の動作の理由と考えます。すると、これは、4節の冒頭に有る、「神に感謝します」という部分の理由と考えることになります。

本当にそれで良いのかという点は、二つの部分を直接つなげて考えた時、筋が通っているかで確認できます。

「私は神に感謝します。(4節)」「というのは、あなたの愛の内に、喜びと慰めを得たからです。(7節)」

続けて読んでみて、おかしい点、理屈に合わない点は無いようです。喜びと慰めを得たのだから、神に感謝する、というつながりは、自然なのではないでしょうか。他の動詞や分詞につなげて考えても、これほど自然なつながりになる部分は有りません。

そこまでわかった上で、なお翻訳上面倒な点が有るとしたら、理由を述べる文の中に、もう一つ、理由を述べる従位接続詞、becauseが入っていることかもしれません。NASBの本文は、コンマが前についていますから、「というのは〜だから」と訳すのが通例です。この訳し方では、前の部分を一度読点で終わらせる必要が有ります。また、forの訳としての「というのは」も有るため、多重な表現という印象になります。整った日本語の訳を目指した結果、一つの文ですが、読点で二つに分け、forの訳も省いたということのようです。しかし、このために、7節が4節の動作の理由を説明しているという機能の理解は、大幅に失われることになったと思います。


構文分析による訳の試み

(神に感謝します−4節)
というのは、あなたの愛の内に、私が多くの喜びと慰めを得ているからです。というのは、聖徒達の心が、おお兄弟よ、あなたを通して力づけられたからです。

最初の「というのは」が、4節の主節の動詞を修飾し、二つ目の「というのは」が、4節の最初の動詞を修飾します。

NASBで"refreshed"と訳された語を確認してみました。第一義として、「回復するためまたは力を取り戻すために、仕事や様々な行動、活動をとめるようにすること、させること。」次いで、「(他人に)休みを与えること、(自分で)休むこと」というような説明がついています。それで、新改訳の「力づける」もその雰囲気を持っていると判断して、その訳に倣いました。






にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

にほんブログ村 聖書・聖句