ピレモン書 8節〜11節

原文のギリシャ語を調べると、実はこの文は14節まで続いているのです。しかし、このブログは、「英語を使って」「ちょっとだけ頑張って」がモットーですから、いつも使っている英語の聖書、NASBの区切りに従って確認してみることにします。

本文

8Therefore, though I have enough confidence in Christ to order you {to do} what is proper, 9yet for love's sake I rather appeal {to you} --since I am such a person as Paul, the aged, and now also a prisoner of Christ Jesus-- 10I appeal to you for my child Onesimus, whom I have begotten in my imprisonment, 11who formerly was useless to you, but now is useful both to you. (NASB)

8 私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、こういうわけですから、9 むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。11 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。 (新改訳)


最初にThereforeという接続詞が有ります。「そういうわけで」と訳されることが多いと思います。それでは、どういうわけで、なのでしょうか。これは、前の文の内容のどれかを指しているわけです。これを判断するためには、今回の文の主節の主旨を確認して、整合性を持った部分を見つけ出さなければなりません。

ここで、構文分析の図を見てください。主節の所は、I appeal to you と表示されています。しかし、NASBで8節を見ても、そのような部分は見つかりません。8節は、Thereforeの後、コンマを入れて、thoughで始まる譲歩の副詞節続いていて、主節が後回しになっているのです。主節は9節と、またその確認の繰り返しの10節に現われる、I appeal (to you)なのです。

I appeal to you で使われている appeal と訳された語は、「自分の側に呼び寄せる。励まし、慰め、指示、教示、懇願のために話す。」という意味が有ります。英語でappealという訳語が選ばれたので、特に指示、懇願の意味が有ると考えることができます。e-swordにで日本語の聖書(新改訳)を見ると、「お願いする」と訳されています。
 その主節である I appeal to you、「お願いする」に直接結びついているのは、10節、11節に現われるオネシモという人物についてのお願いです。その部分を、構文分析の図では、赤い枠で囲みました。
 主節の I appeal to you が、実際には、文の後の方に現われ、その内容も最後に示されているというのは、いったいどういうことでしょうか。手紙の筆者であるパウロは、お願いの内容を示す前に、「〜命令できるのだが」という譲歩の副詞節や、「むしろ愛によって」という副詞句、「私は〜な人物なのだから」という理由の副詞節などを挟んで、回りくどい言い方をしているのです。しかも、パウロは、9節で「お願いする」と言い始めたのに、その内容を言う前に、もう一度、「私は〜な人物なのだから」という理由の副詞節を割り込ませて、10節からようやく全部のお願いを言い切るというやり方をしています。それは、パウロが、手紙の受取人のピレモンに、大変配慮し、または遠慮して書いているということを示しています。もし図Bのように書いたなら、主旨はすぐにわかるのですが、ストレートで遠慮の姿勢が少ない印象になります。
 どうして、パウロがピレモンに対してこんなに配慮したり遠慮したりしなければならなかったのかは、また後で明確になります。

パウロがピレモンに「お願い」をしている、その対象になっている人物、オネシモとは、どんな人物なのでしょうか。この文では、彼のことを説明している二つの関係代名詞節が情報源になります。
 最初の関係代名詞節を見ると、「私の収監中に私が生んだ」という内容の説明が付いています。ご存知のようにパウロは男性ですし、獄中結婚をしたという記録は有りませんから、オネシモがパウロの実子であるということではありません。後の16節で、パウロはオネシモのことを「愛する兄弟として」と表現しています。つまり、キリスト教徒としてということです。ですから、この関係代名詞節の意味は、「パウロが獄中で出会って、キリスト教の信仰に導いた」ということです。それを「生んだ」と表現しているのです。それは、同時に深い愛情の表明でもあります。
 二つ目の関係代名詞節では、「以前はあなたには役立たずであったが、今では貴方にも私にも役に立つ」という内容の説明が有ります。ここで、パウロは言葉遊びをしています。オネシモという名前を、e-swordで調べてみましょう。聖書ウィンドウにKJV+を表示させて、Onesimusという名前の所に付いているStrong's Numberをクリックして、辞書ウィンドウのStrong's と Thayerを見てみます。すると、オネシモという名前は「有益である、役に立つ」という意味が有ることがわかります。次いで、辞書ウィンドウでISBEを選択して、検索ウィンドウにOnesimusとタイプすると、最初に「オネシモはピレモンの所有する奴隷であった」という説明がされています。オネシモ、「役に立つ」という意味のこの名前は、奴隷に付けられることが多い名前だったのです。(できれば、ISBEの全ての説明をお読みになることをお奨めします。)
 オネシモは、「役に立つ」という意味の名前を持つ奴隷でしたが、実際は、ピレモンの「役に立たない」奴隷で、牢獄に入れられるような存在だったのです。多くの注解は、彼が脱走してしまったのではないかという推測をしています。ピレモンのものを盗んだだろうという説明をする注解も有ります。

 これで、パウロの回りくどい表現の理由がわかります。そんな役立たずだった奴隷であり、ピレモンの「財産」と考えられたオネシモののことをお願いするのですから、いくらピレモンにとって師匠とも言えるような立場のパウロでも、これぐらい慎重に配慮した表現をせざるを得なかったのだろうと判断することができます。

ここで、最初の接続詞 Therefore に話を戻して見ます。「そういうわけで」「オネシモのことをお願いする」というつながりです。役立たずで、牢獄に入れられてしまうような奴隷のことをお願いするという行為につながりそうな内容は、4節〜7節のどの部分でしょうか。
 5節を見ると、ピレモンが、「すべての聖徒(キリスト教徒)」に愛を持っているという表現が有ります。また、6節に、パウロの祈りの内容として、「信仰の交わりがもっと力づけられるように」ということが示されています。
 すると、「そういうわけで」というのは、「ピレモンが他のキリスト教徒に愛を示していると聞いている」「パウロもピレモンの信仰による交流が更に力強くなるように祈っている」という二つのことを指していると考えられます。だから、その具体的な現われの一つに、オネシモのことも加えてくれないか、という流れで、パウロはお願いの言葉を続けているわけです。


まとめ
今回は、訳は示しません。新改訳は、原文の構造をすっきり表現してはいませんが、パウロの配慮のある言い回しは表現されています。ここの部分のまとめとしては、

1)パウロは命令できるが敢えてお願いするという遠慮と配慮をした回りくどい表現をしている。
2)オネシモはピレモンの奴隷で、名前の意味は「役に立つ」であったが、実際は主人に損害を与えて入牢するような者であった。しかし、牢獄でパウロに会ってキリスト教徒になった。
3)この個所の冒頭の「そういうわけで」は、ピレモンの他のキリスト教徒への愛を伝え聞いていることと、それを根拠にしたピレモンの信仰の交流がもっと力強くなるようにという祈り二つを指していると考えられる。

の三つを確認していただければよいのではないかと思います。 




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