ピレモン書 12節〜14節
このカテゴリーの前の記事で、原文のギリシャ語では14節までが一つの文であるということを書きました。NASBでは、一度11節でピリオドにしてありますが、KJVでは関係代名詞を用いて一文として12節を続け、コロンなどでつなぎながら14節でピリオドが来るようにしています。原文でも関係代名詞でつながっていきます。しかし、今回もちょっとだけ頑張ってということで、NASBの英語だけで、構文分析図を書いてみました。
NASBが11節で切った理由は、ギリシャ語聖書を見ると、上付きの点が有って、一応大きな一まとまりが終わった印が付いているためだと思われます。(e-swordでは記号が見えないと思います。)また、一文を短くして、読みやすくしようという意図が有ったかもしれません。しかし、そのために、関係代名詞を用いないで訳す必要が生じて、原文の構造に忠実に訳すという方針を、ここでは曲げたということになります。
原文では、「彼を」という関係代名詞と同じ内容の目的格の人称代名詞が単独で挿入されています。無くてもわかるはずなのですが、多分、「その彼を」というような強調の気持ちがパウロには有ったのでしょう。また、独立したthat is my heartと訳せる文が割り込ませてあります。(NASBでは、構文分析図に示した通り、that is, sending my very heart)このthatは、オネシモを送り返したという事実のことと考えられます。
先にパウロは、オネシモ(役に立つという意味の名前)が、本当に役に立つ者となったことを述べましたが、今回追加した箇所では、自分の伝道、宣教のために、側に置いておきたかったと付け加えて、どれ程役に立つかということをアピールしているようです。
オネシモは、パウロの気配りの言葉のちりばめられたこの手紙を持ってピレモンの所に帰ったのです。