知識

神のしもべ、また、イエス・キリスト使徒パウロ・・私は、神に選ばれた人々の信仰と、敬虔にふさわしい真理の知識とのために使徒とされたのです。(テトス1:1 新改訳)

Paul, a servant of God and an apostle of Jesus Christ, for the sake of the faith of God's elect and their knowledge of the truth, which accords with godliness, (Titus 1:1 ESV)



一般に知識というと、γνωσις が用いられます。ところが、この箇所では接頭語を付けた、επιγνωσις という形が用いられています。どう違うのでしょうか。

いつものように、e-sword を使って調べてみます。Kjv+でこの箇所を開きますと、知識にあたる部分は、acknowledge と訳されていて、Strong’s number はG1922 です。ちなみに、他の英語の聖書では、4つほどの訳が、full knowledge と訳しています。

Strong’s number をクリックして、Strong と Thayer を確認してみます。Strongは、認識、認知、識別というような訳を示しています。Thayerは、正確で正しい知識というような訳を示しています。ですから、いくつかの聖書がfull knowledge と訳すのはうなずけるところです。そこが、単純な知識 γνωσις と違うところでしょう。

テトス1:1では、パウロイエス・キリスト使徒・使者とされた目的が述べられてます。真理の知識のための使徒・使者になったということですから、彼は、キリスト教的真理の知識を正確に正しく伝えるために使徒・使者に選ばれたということがわかります。


Kjcで、他にどんな箇所でこの言葉が使われているかを確認すると、また興味深い発見ができるのではないかと思います。全部確認するわけには行きませんから、この箇所とより関係の深い箇所を一つだけ取り上げます。

私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。(ローマ10:2 新改訳)

For I bear them witness that they have a zeal for God, but not according to knowledge. (ESV)

テトス書では、ユダヤ主義的偽教師を排除することを目的にしている部分が有ります。彼らは、キリスト教的真理の正しく正確な知識を持っていなかったばかりか、教会に混乱をもたらしていました。ローマ書の方では、イエス・キリストを受け入れないユダヤ人達について述べています。テトス書とは違うタイプの人達ですが、やはり、キリスト教的真理の正しく正確な知識を持っていないという点が共通しています。しかし、彼らはユダヤ人ですから、キリストに関する預言などの旧約聖書の記述に関する知識は持っていました。ですから、単純な知識を表す γνωσις を使うと状況に合いません。ですから、他の場所では時には full knowledge と訳される、正しく正確な知識 を表すεπιγνωσις を使う必要が有ったのです。

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