水のイメージ

水のイメージは、喉を潤すさわやかさ、潤った土地の肥沃なイメージにつながります。旧約聖書の預言にも、川がエルサレムの神殿から流れ出て、一体が潤い、豊富な魚が住んだり、作物がよく取れるイメージが描写されています。(エゼキエル書47章)

一方で、私達が日本で考える川や水のイメージで読むと、状況が違うという場合も有ります。「谷川の流れを慕う鹿のように」という描写が詩篇42篇に有ります。この「谷川の流れ」は直訳的には「水の流れ」ですが、その「流れ」という部分は幾通りにも解釈できる内容になっています。(関心に有る方はe-swordのStorng'sとBDBを参照してください。)元来は「含むもの」というような意味だそうです。それで、実際には、豊かな水の流ればかりではなく、水が流れて深くえぐれてできた山肌に見える跡すじなども意味することができるようです。この詩篇42篇も、とうとうと流れる谷川と言うイメージよりは、中近東の気候や地理から考えると、ようやく見つけられる水脈とか、ワディの方が実際に近いという説明もあります。そして、この理解の方が、この詩篇で表現される、一生懸命水を求める鹿の姿と、この後に続く、神を一心にしたい求める姿勢とによく合致していると思われます。

ユダヤ文学的には、海、湖、川、大水などが、混沌と困難の象徴である場合があります。創世記1章1節の水のイメージ、ノアの箱舟の物語における大洪水のイメージ、キリストの弟子達がガリラヤ湖で嵐に遭う時のイメージがこれに該当します。マタイ7章24〜27節に出てくるキリストの説話で、岩の上に建てた家と砂の上に建てた家が出てきますが、これを試すのが、押し寄せてくる洪水です。これは、ユダヤ文学的な大水のイメージに合致しています。象徴的に、人生の混沌や困難を表しています。

水は、また、象徴的には、神の恵み、神の言葉、聖霊、清め、バプテスマを表すことがあります。特に新約聖書中の書簡などに出てくる「水」ということばの意味合いが曖昧で解り難いと感じられた時は、これらの象徴的意味を当てはめて考えてみると見えてくる場合があります。


聖書を研究する時に、水に関する表現が出てきたら、どのイメージや象徴と合う場面であるかを考えるのも、理解を豊かにする一つの方法です。

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