「祈り」を表す語にも違いが有った

私がワードスタディーの参考にしている文書を確認していましたら。マタイ9章38節にある、「収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」という記述における祈りを表す言葉が、通常用いられている語ではないということが書いてありました。それで、さっそくe-Swordを使って確認してみることにしました。

e-Swordを起動し、聖書はKJV+を選び、マタイ9章を表示させて、38節までスクロールします。

最初にPrayという動詞が命令文で出てきます。その右肩に表示されるG1189という番号をクリックすると、辞書のウィンドウに定義が表示されます。辞書は情報量が多いので、Thayerを選択します。

表示された定義は

1)欠けている、足りない

2)熱望する 渇望する

3)頼む 乞う

  3a)頼まれた物事

  3b)  祈る 願い事をする

というようなものになっています。

すると、一般的に祈るというよりも、欠乏している状況と強く要望する要素が有る言葉なのだということがわかります。

エスが、働き手を神が送ってくださるように祈れと命じられたのですが、その祈りの必要性の度合いがこのように強いものであることには気づいていませんでした。このような資料に出会えたことに感謝するとともに、イエスのご命令なのですから、いよいよ熱心に神が働き手を送ってくださるように祈らなければと心を新たにいたしました。

 

 

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