説話文体研究の実例 イエスの奇跡物語シリーズ#4 ガダラ地方での悪霊の追い出し マタイ8:28−34

背景など

場所はガダラ人の地方に移ります。向こう岸だと表現していますから、それまで居た、カペナウムから見て向こう岸です。ガリラヤ湖は竪琴みたいな形をしていますから、北西部に位置するカペナウムから見ると、どこが向こう岸かという部分がちょっと微妙な感じもしますが、手っ取り早く言えば、東岸ということになります。手元の地図で確認すると、東岸のやや北寄りに印がついています。
 ガダラ人の地方について、e-sword の Gill の注解を見ますと、その町もしくは都市は、ギリシャ文化の濃い地方で、ユダヤ人よりもシリア人が多く住んでいたということが、ヨセファス(ユダヤ人の歴史家です)によって記録されているようです。するとユダヤ人にとっては、別な民族、異邦人の地区という印象が有ったはずです。
 このことは、その地方に豚の群れが飼われていたことに関連付けられます。豚の群れが飼われているとしたら、普通それは食用肉のためであると考えます。しかし、ユダヤ人はモーセの律法によって、豚を食べることが禁じられていました。このことからも、ユダヤ文化より、シリア系などの異邦人の文化が強い地方であることが理解できます。


強調点

ガダラ人の地方に、凶暴な悪霊つきの男が二人いたということ、また、誰も彼らの居る道を通れない程であったということが一つの強調点と言えます。そのような強力な霊を追い出せるということが、イエスの力や権威の強調になります。
 また、この悪霊の追い出しの奇跡では、悪霊が乗り移った豚の群れ全体が湖に駆け下りて溺れ死んだと記されています。たくさんの豚の群れという表現が使われていますが、マルコによる福音書の並行記事では、およそ二千匹という数字が示されています。そのようなたくさんの豚を動かせるということで、いかにその悪霊が強かったかということと、その強い悪霊を追い出したイエスがいかに権威と力有る存在かということが強調されます。

人々の言動でわかること

悪霊につかれていた男達がを使って、悪霊が「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」と言わせています。悪霊にはイエスがどのような存在であるかがわかっていたということです。また、イエスに彼らを苦しめるような力や権威が有るということがわかります。 
 どうしてイエスが悪霊に「行け」と言って許可を与えたかについて、Gillは飼い主がユダヤ人であったら、律法に反して豚を食用に育てていたことへの罰の可能性も有るという見解を示していますが、Barnesなどを読むと、律法は商用の飼育までは禁じおらず、ハスモン朝以前は食べなければ商売として豚を飼育することは許されていたということが書かれています。従って、豚の飼い主がユダヤ人であったか異邦人であったかに関係なく、いかに強い悪霊であったかということと、イエスがそれを追い出すことのできる権威と力の有る神の使者であることを示すためであったと考えるのが良さそうに思います。

町中の人たちが来て、イエスにどうかここから立ち去ってくださいと願ったと書いてあります。Barnesは、豚の損害について文句を言おうとして来たが、イエスを実際に見てその権威ある様子に恐れて、ただ去るように願うしかなかったのではないかというように説明しています。Gillは、その人たちには何かの良心の呵責が有ったので、豚の損害について文句を言わず、もっと酷い災いが来ないように、去るように願ったのではないかという見解を示しています。他の注解では、異教の理解では、奇跡や魔術を行う者が出現すると、その地方には災いが来るということだったので、ユダヤ人的な理解をしてイエスをメシアとして崇めることをせず、去るように願ったのだという見解を示しています。個人的にはこの三つ目の立場がより納得できるように思えます。

マタイは記録していませんが、ルカは、悪霊を追い出してもらった男が、イエスについて行きたいと願ったが許されず、自分の町で神がいかに大きな業をしてくださったかを言い伝えるように命じられたことを記録しています。イエスは異邦人の地方にも、効果的に神の国の到来のメッセージを広げるために、このような方法を用いられたのだと考えられると思います。

今回は、締め括りの言葉などは記録されていません。


この奇跡物語が伝えようとしていること

1)今までの奇跡物語は、病気の癒しの奇跡に中心が有りました。今回は、特に悪霊の事例を示すことによって、病気、疾病という肉体的な問題だけではなく、悪霊という霊的な問題についても力と権威が有ることを示し、イエスが神の使者、救い主であることを示す意図が有ると思われます。

2)また、ガダラ人の地方という、シリア系の人が多い地区での出来事を記録することにより、神の救いの計画は、ユダヤ人だけでなく、異邦人にも向けられているということを読者に示す意図が有ったと思われます。

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