の実例 イエスの奇跡物語シリーズ#2 百人隊長のしもべの癒し マタイ8:5−1説話文体研究3

今回のイエスの奇跡物語の背景などは、前とほぼ同じです。5節にカペナウムという町でのことだということが示されています。

強調点
今回の強調の示し方は、10節の、「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」というイエスの評価です。信仰の在り方が大事だということです。

もう一つの強調点は、ただ読んだだけでは解り難いのですが、この信仰の持ち主が、異邦人である、つまり、ユダヤ人ではないということです。百人隊長は、ローマの駐留軍の軍人の中に居たのです。また、11節でイエスが、「 あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。」と言っていますが、この、「東からも西からも」という表現は、各地からという意味で、やはりユダヤ人以外の人達を含意しています。話の中心が、この百人隊長に有り、イエスが「イスラエルのうちのだれにも」とか「東からも西からも」という表現を使っているということが、そこに強調点が有ることを示しています。

百人隊長の職務はISBEによると、次のようになっています。

The ordinary duties of the centurion were to drill his men, inspect their arms, food and clothing, and to command them in the camp and in the field. Centurions were sometimes employed on detached service the conditions of which in the provinces are somewhat obscure.

そんな職務を果たす人なので、階級はそれほど上でなくても、人望の有る人が選ばれたという説明をしている注解もあります。一方で、彼らはユダヤ人を尊ばなかったという記述をしている注解も有ります。ですから、この物語に出てくる百人隊長は、腰が低い謙遜な人であったか、あるいは敬虔で神を求める心が有った人ということかもしれません。

東からも西からもという表現については、注解ウィンドウで11節を表示させると、ユダヤ人以外の異邦人に福音が伝えられることを示すという説明が有ります。

また、前の癒しの記事と同様ですが、中風の人が「ひどく苦しんで」いたということが、事態の難しさを示しますので、イエスを通してこれが癒されれば、彼が力有る神の使者でありメシアであるということの強調になります。


人物の言動でわかること

最初の焦点は百人隊長です。

この百人隊長は、自分のしもべの癒しのために、自分の支配地域の人間に「懇願」するということをしていますから、自分の部下に対する愛情が深く、また、自分の地位を鼻に掛けたりしない謙遜で神を信じる人であったと推測できそうです。
 イエスが彼の家に行こうと言った時の彼の回答からは、彼が権威というものがどんなものであるかを理解しており、また、イエスにそういう神の使者でメシアとしての権威、神の権威を認めていたと考えられます。そして、イエスがその認定、信仰に足る存在であるという確信、信心が有りました。


エスの言動に目を移します

エスは彼の答えに「驚かれ」と訳されていますが、この動詞は、「賞賛する」という意味を持っています。確認したい方は、いつものように、Strong'sやThayerを見てください。伝統的な信仰においては、イエスは人性と神性を併せ持っていましたから、言葉が発せられる前に百人隊長の心は理解していたはずです。また、そういうイエスの特性を示す個所は、福音書の他の個所でもいくつか見出されます。すると、イエスが彼の回答に驚くというのはあまり状況に合いません。ですから、むしろ、「賞賛して」という訳の方が良いのではないかと思われます。
 その賞賛の仕方は、「イスラエルのうちのだれにも見たことがない」というほどの大きな賞賛でした。イエスはここで、ユダヤ人達の不信仰を責めている部分が有ります。そんな不信仰では、神の国に入ることはできないのだと警告しています。信仰の父祖であり、イスラエル民族の始祖であるアブラハム、イサク、ヤコブとその日が来たことを祝う食卓に付く事が、彼らの期待でした。そして、彼らは、自分達は神の国に入る者達だという意味で、自分達んを「御国の子ら」であるとしていたのです。そこには、この物語に出てくる百人隊長ら、外国人を無視する気持ちも有りました。しかし、その天国への道を示しに来たイエスのことを、多くのユダヤ人達は、半信半疑であったり、自分の利益のために利用しようとしていたりしたのだと思われます。ここでは、むしろ、彼らが無視していた外国人が賞賛を受けることになったのです。


締め括りの言葉など
エスは「あなたの信じたようになる。」と宣言し、実際に難病の人が直ぐ治ったという記述になっています。それは、百人隊長の信仰が本物であるという宣言であり、また、イエスは力有る神の使者、メシアであるということの宣言でもあります。


前後のつながり
前の奇跡の個所で示した原則がここにつながっています。イエスはメシアで神の権威を持った方である。癒しの奇跡もその現われである。そういうことを確認しています。この後にも熱病の癒しが続き、さらにユダヤ的背景からの説明が加えられることになります。


マタイがこの物語を通して伝えようとしたこと
1)神の国は、正しい信仰を持った外国人にも開かれている。
2)権威とはどういうものかを理解し、イエスに神の権威を認めることが重要である。
3)イエスは難病を瞬時に癒す力と権威を持ったメシアである。

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