書簡文体の研究について

新約聖書の最初の4巻は、福音書使徒行伝で、歴史的記述として一つに分類している聖書通読プログラムも有ります。このブログでは、これらを説話文体に分類して説明しています。

そして、5巻目のローマ人への手紙以降からユダによる手紙までの22巻が書簡文体に分類されます。これは、手紙として書かれている他、内容に説明が多くて論文的な側面が有ります。それで、物語風の説話文体に比べると、解りづらいことが多くなります。また、ギリシャ語の構造と、日本語の構造が異なるため、きちんと節の番号に沿って翻訳しようとすると、原文の構造を損なうことが多くなります。ですから、同じヨーロッパ語族の英語で確認することができると、より正確な理解が可能となるわけです。(なお、お断りしておきますと、聖書の各巻に振られている章や節の番号は、後世の学者達の努力の賜物で、最初から付いていたのではありません。)

二つ例を挙げてみようと思います。

書簡の最初はローマ人への手紙です。1章の1節から7節までが一つの文で、英語の聖書では7節の終わりにようやくピリオドが付きます。e-sword収録の日本語の聖書、新改訳で確認すると、4節、5節、7節と三回句点が用いられています。また、この文は、英語の聖書で見ると、関係代名詞が多用されて、長い文になっています。そのような文は、主節がどこに有るのかが見つけにくく、きちんと構文分析をしないと中心的な思考、主旨が何であるかが解り難いことが有ります。

書簡の最後はユダによる手紙です。1章しかない短いものです。20節、21節は、三つの分詞を用いた表現になっています。(英語では主にing形になります。)構文分析をすると、主節は命令文で、英語では "Keep yourselves (in the love of God)." となっています。新改訳では、その部分は、『神の愛のうちに自分自身を保ち、』という風に、分詞の表現のような中途半端な訳で、命令の言い切りの形は別のところにつくようになっています。こうなった理由の一つは、節毎に翻訳する努力をした結果と言えると思います。
 また、具体例は挙げませんが、別の箇所では、同様の理由で、分詞表現であるのに、主語を補って、各分詞句毎に一文として和訳されている場合も有ります。これも同様な理由による部分が有ります。また、分詞句を分詞句らしく訳する努力をすると、一文が長くなり、日本語としての読みやすさが損なわれるため、それを避けたということも有ると思われます。

そういうわけで、書簡文体の研究においては、構文分析が欠かせません。次回は、書簡文体の研究のポイントを列挙し、その後の記事で例を示しながら、構文分析の説明をしようと思います。

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