エペソ人への手紙1章18節

NASB
I pray that the eyes of your heart may be enlightened, so that you will know what is the hope of His calling, what are the riches of the glory of His inheritance in the saints, and what is the surpassing greatness of His power toward us who believe, in accordance with the working of the strength of His might.

新改訳
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。


はじめに
ここに取り掛かる時、どうしようかと迷い、その後しばらく手付かずになってしまいました。NASBの区切り、手元のギリシャ語聖書の区切り、その他の字義通りの翻訳を目指した聖書の区切りがかなり違っていて、どう扱うか踏ん切りがつきませんでした。NASBの翻訳チームも、原文が大変長くつながっているため、これまでも文意が取りやすいようにいくつかの文に分けています。
実際には新しく一文の様に訳されている今回の区切りも、実は15節から始まる文を修飾する句です。先にその修飾のつながりをはっきりさせたかったので、そこにも時間が掛かりました。実際にしたことは、原語から確認するタイプのexegetical commentary という種類の注解書を調べることでした。それによると、この部分の構造は理解が難しい箇所なのですが、複数の学者の意見として、目的の副詞句と理解するのが適切であろうと述べていました。
NASBはその句をI pray で始めて祈りの内容として続けています。しかし、実際は前に始まった祈りの内容のある部分を修飾する副詞句です。あまりに長くなることと、祈りの内容の一部であるために、新たにI pray で始まる一文として処理することにしたものと理解できると思います。その句にもう一つ目的もしくは結果の副詞節が含まれていて、重複の感じが出て訳しにくいということも、取り出して一文として訳すことにした理由かもしれません。
さて、いつもの言い訳ですが、「ちょっとだけ頑張って」レベルでありますので、NASBの区切りに従うことにします。18節と19節の途中までとなります。


構文分析から 
横線は文の中心部分で、離れている後半もひとまとまりであることを示しています。祈りの内容を表す節の中の動詞を、目的と手段を表す二つの副詞相当語句が修飾しています。目的の副詞節は三つのことを知るようになるようになるためであることを示していて、英語ではknowの目的語になるwhatの節が三つ連なっています。三つ目のwhatの節の最後の部分に有る関係代名詞のwhoは、usと等しいということで、同じインデントになっています。
 in accordance ~ の部分は、私が学んだ法則では直近の要素を修飾する形で構文分析図を作成しなければならないのですが、全体的な文脈を考えると、それでは合わないように感じますので、that 節の動詞を修飾形にしてあります。

 この箇所の中心的意味は「あなたの心の目が明るくされるように、(よく見えるようになるように)祈ります。」ということです。

 その良く見えるようになる目的または結果は、あなたがたが三つのことを知るようになることです。

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