説話文体研究の実例 イエスの奇跡物語シリーズ #12 水をワインに変える

最初は該当する全ての記事を扱おうかと思いましたが、このシリーズは後数回で終わりにしようと思います。自然界に対するイエスの奇跡的力、影響力の物語を取り上げることにしました。


文化的・地理的背景など
結婚式が有ったということですから、最初に当時の結婚式の様子を確認します。Barnesには、結婚の宴会は一週間程続いたことが記されています。それで、ワインも十分用意されるはずですから、イエスが列席した日にワインが不足した、もしくは無くなったということは、宴会の後半になってから出席したということではないかと推測しています。ワインが不足したのは、予想以上の客が来たとか、新郎新婦に十分なワインを調達する経済力が無かったなどの推測ができますが、はっきりしたことは書かれていません。Gillの説明では、そのようなことは不名誉なことであったということが書かれています。

マリアがワインが不足していることを耳打ちすると、イエスは「女よ」と理解できる呼びかけの言葉を使っています。そのまま日本語で考えると、自分の母親にそのような呼びかけはひどいのではないかと考えられます。Gillの説明によれば当時の一般的な言葉遣いで、話しかけている女性に対して十分な敬意や愛情を持っている表現であったということです。そして、その傍証として、十字架の上からマリアに向かって語り掛けた時の用例を引用しています。
 


強調点
 特に強調点として取り上げられる表現は使われていません。締め括りの言葉を強調、確認の言葉と考えて良いと思います。

人々の言動でわかること
RWPは、イエスと弟子達(当時はまだ全部で7名)の参加で、ワインが少なくなったことを心配して、マリアがイエスに耳打ちしたのではないかということが書かれています。Gillは、マリアが手伝いの人達に指示を出していることから、その婚宴において、重要な役割を持っていたか、新郎新婦の近親のものであったのではないかということを述べています。
 また、Gill等は、イエスはそれまで奇跡を行ったことは無かったのですが、マリアはイエスの誕生の時の約束などから、イエスに何らかの力を期待したのかもしれないということを述べています。イエスが市場に出かけて、新郎新婦のためにワインを買い付けてくることや、そういう財力を期待することはできなかっただろうと思われますから、この理解が妥当なところではないかと思います。
 すると、マリアの行動からは、そういう今までに何も目撃したり体験したことが無かったとしても、イエスの力を期待する信仰を読み取る部分ではないかと思われます。


締め括りの言葉
11節に締め括りの言葉が有ります。この奇跡が一連のイエスによる奇跡の始まりであることが述べられています。最初に行った奇跡ということです。しかし、その目的や結果を表すと考えられる続く文にもっと意味が有ると思われます。すなわち、奇跡はイエスの神の子として栄光を表すものであったことと、弟子達がイエスを信じることになったということです。
 信じるという語は、新約ではよく用いられるピステューオーです。ヨハネによる福音書の1章を読むと、弟子はイエスをメシアだと認識していることがわかります。すると、弟子達がここで初めてイエスをメシアだと信じたということではなくて、その信仰をますます堅くしたということであろうと思われます。
 とにかく、この締め括りの言葉にはっきり宣言されていることは、全てのイエスによる奇跡は、イエスの神の子としての栄光を表し、証明するためであり人々にそれを信じさせることが目的であるということであると考えられます。


この箇所からわかること
 締め括りの言葉が明示する通り、イエスの行う奇跡は、イエスは神の子であるということを表し、人々がそれを信じるためであるということが前提であるという宣言であると考えられると思います。マリアの信仰が模範となっているとも言えると思います。
 水をワインに変えるということは、自然に急激な変化をもたらすことのできる超自然的能力を持っているということです。そんなことができる存在は神であるとは即決できませんが、イエスのそれは、神の業であり、きちんとした目的が有るのだということを、この福音書の早い段階で宣言する意図が有ったと思います。

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