エペソ人への手紙 1章3節〜6節


3 Blessed be the God and Father of our Lord Jesus Christ, who has blessed us
 with every spiritual blessing in the heavenly places in Christ,
4 just as He chose us in Him before the foundation of the world, that we would be
holy blameless before Him. In love
5 He predestined us to adoption as sons through Jesus Christ to Himself,
according to the kind intention of His will,
6 to the praise of the glory of His grace, which He freely bestowed on us in the
Beloved. (NASB)


3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は
 キリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくだ
 さいました。
4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、
 御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の
 子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
6 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、
 ほめたたえられるためです。(新改訳)


主節の思考、主旨は、「神がほめたたえられますように」というものです。しかし、その後に分詞句、副詞節、前置詞句などがぞろぞろつながって、4節に及ぶ長い文になっています。NASBは4節と6節にピリオドが有り、二つの文となっています。原文のギリシャ語はこれで一つの文です。
 英語でblessedと書いてあるので、「ほめたたえる」という訳に違和感を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、元になっている語、ユーロゲイトスには、ほめたたえるという意味が含まれており、この場面に合った訳だと思われます。
 順番に補足説明をします。3節にある関係代名詞節は、原文では分詞に定冠詞が付いた名詞的用法ですが、意味合いは同じになります。4節でピリオドの後にIn love という句が有りますが、just as に導かれる副詞節の動詞を修飾するものとして見るのが適切であると思いますので、構文分析図でもそのように配置しました。5節は、主節の主語と動詞が有る一つの分のようになっていますが、原文ではjust as に導かれる副詞節の動詞を修飾する分詞句ですので、構文分析図では分詞句に書き換え、NASBとは違うという印として、赤い下線を施してあります。
 Just as の元になっている語のカソースに、「〜な程、〜する程」という程度の表現の意味が有りますが、新改訳は「すなわち」と訳したので、その雰囲気が出ていないような気がします。
 4節のthat節は原文では不定詞で、目的を表すと考えるのが良いと思われます。新改訳はその機能があまり明確に表現されていないように思います。
構文分析による訳の試み
今回は長い文ですので、全体の訳に取り掛かる前に、大きな流れを確認してみます。構文分析図で青い下線を施した部分だけを訳しています。


私達を予め定められて、彼が私達を選んだ程に、私達を祝福されたところの、神がほめたたえられますように。


通して訳して見ます。


愛する御子によって、神が私達に思いのままに与えてくださった恵みの栄光がほめたたえられるように、彼の意志による愛情に溢れた意図・目的に従って、イエス・キリストを通して、神の子として縁組するように、以前から私達を予め定めて、

愛によって、私達が神の前にきよく非難されるところの無い者となるように、この世の創立の前からキリストの内に私達を選ばれた程に

キリストによって、天に有るすべての霊的な恵みで私達を祝福してくださったところの、神であり、私達の主イエス・キリストの父である方がほめたたえられますように。

しかし、これでは日本語としてはわかり難く、良い文とは言えません。また、原文の語順ともだいぶ異なってしまいます。原文の語順に近く、且つ、日本語としてのわかりやすさを考えると、節毎に訳す方式に分が有ります。


節毎に訳した場合。

3 天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださった、私達の主
  イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。
4 その祝福は、私達が御前にきよく、非難されるところの無いものになるよう
  に、世界の創立の前から、神の内に愛を持って私達を選ばれた程のものでし
  た。
5 神はその愛の意思によって、イエス・キリストを通して、彼の子達とするた
  めに私達を予め定め、選ばれたのです。
6 それは、愛する者(イエス・キリスト)のによって、神が思いのままに私達
  に与えてくださった恵みの栄光がほめたたえられるためです。


キリスト教的意義
神がほめたたえられるように、というその祈願の思いは、キリスト教徒の心の中にいつも有るべきことです。神は、礼拝者から見る時、そ全存在が賛美の対象でありますが、特に今回の箇所で意識する賛美の理由が、神が久遠の昔から、人間にイエス・キリストによる救済の計画を持っていて、それを通してキリスト教徒が救われたという霊的認識、事実に帰されています。
 この箇所は、神学的にいろいろな論議を呼ぶ部分ですが、このブログの書簡文体研究の目的は、日本語訳と原文の構造の違いを、英語というツールを使って比較し、日本語訳で失われているかもしれない要素を見つけることに有りますので、そういう部分には触れません。

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